寿合宿日記!!

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カテゴリ:第1回秋(2010)( 41 )


2010年 12月 20日

寿トゥギャザー

初心にかえってみた。

すると、自然に「寿トゥギャザー」という言葉が浮かんできた。

春合宿のときに思いついた単語だった。

そう、寿にいる人たち全体で形になっていく、そういうことだった。

一日目 11/18

寿に到着し、事務所へ。
なんか、久々に実家に帰ってきたような感覚になる。ヘンな落ち着きと、これからの臨場感が沸沸湧いてきて
徐々に馴染んでいく感覚を得る。

二日目 11/19

この日からドヤ<第二浜松荘>
へ滞在し、制作を始める。
この第二浜松荘はちょうど一年前に初めて寿を訪れたときに宿泊したドヤで、制作するのも、展示をするのも、そこに外部の人を連れて行く事も一番しやすい寿オルタナティブの協力簡易宿泊施設(ドヤ)だ。
今回はこの三畳間に画材や1500×1000のガラス板と描きかけの100号キャンバスを入れて滞在制作を行った。
なぜドヤの三畳間で制作をしたかったのか。
それは、寿町に流れるすべての時間、気、その一日、一時間、一分と常に変化し続ける“生”な剥き出しの様子を根底から体感するべく、ベースを作る事が大事だと思った。ベースとは、一つの拠点であり、次に進むために確かめなければいけない事であり、その下地である。
そして、その手法としてモノタイプを選んだ。
モノタイプとはガラス板や鉄板に油絵の具などで描いた後、紙に転写させる版画のような手法。しかし、できる作品は一点もので、ガラスの残った絵跡をナゾって描いたとしても同じ作品にはならない。
これは、寿の刻一刻と変化していく空気を自らがそこで生活をし、且つその日常の合間にその瞬間の空気を描き刷り込む。自分自身も常に寿で変化し続けるし、その瞬間の全体をシンプルな作品へと落とし焼き付ける。全く予期しないようなものが出来上がる事もあるし、色や配置、素材のすべてにおいてのバランスを慎重に進めて生まれでてくるものもある。
今回、モノタイプで制作した作品は絵画やドローイングでありながら寿での自分自身とその周辺の多元的な記録も兼ねている。

ドヤに荷物を入れ、ガラスやキャンバスは、12/3-26の会期で開催される柏のアイランドアトリウム「NEO NEW WAVE part2」に一緒に参加予定でそのときたまたま打ち合わせで寿を訪れていた加藤翼氏に手伝ってもらって三畳間に入れた。
三畳間なので余裕があると思っていたが、入れてみると壁いっぱいいっぱいに100号キャンバス(幅役160㌢)がはまった。?????。あ、ここの畳は小さいサイズの畳か!
ガラス板もギリギリ。
窓と壁がキャンバスで埋まってしまい、さらの部屋とは全然違う雰囲気になった。威圧的なキャンバスが制作意欲をかき立てる。集中できそうな部屋になるな、これは。。。。。

加藤翼氏と橋本誠氏と別れ、寿をウロツキながらビールを買いにいく。夜の、闇の寿にいろいろなものが解けていく。体と意識も馴染むように溶けていく。

もどり、ドヤで、部屋の制作体制を整える。
ドヤの中の設備は冷暖房とデジタル放送が映る液晶テレビと灰皿、カーテンにハンガー、独り用の折り畳みテーブル、布団一式(シーツなし)、コンセント二カ所(天井とテレビの上)、照明(蛍光灯)。その設備を少しいじりながら、制作をしやすく、寝やすく。
テーブルは、高さ1.90㌢くらいの高さに入って左側の壁に沿うようにL字に棚があり、そこの角に斜めに乗っけて布団の収納にした。
養生をして、正面奥にガラス板をしき、その正面にどーんと100号。

その夜、早速一発目の絵を描いて、買ってきたビールではなくて自ビールを先に呑み、その後に缶ビールを呑み、久々のテレビを見て寝てみた。ドヤの一日目が始まり、終わった。
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by kotobukitogether | 2010-12-20 16:31 | 第1回秋(2010)
2010年 12月 16日

感無量

寿合宿秋、寿うずまきが終わった。

たくさんの人と今までにないくらいたくさんの交流をした。

やってよかった。

今はドヤにいる。


なんか、 安心する。

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笑平 拝
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by kotobukitogether | 2010-12-16 13:37 | 第1回秋(2010)
2010年 12月 15日

熊本から

どーも

熊本から参加した竹之下です。

ブログやっと書くことできるようになったです。

寿から熊本に戻ると、舞台稽古の日、日、日でした。

12日に舞台も終わり、いっぷくです。

昨晩は熊本であった「加藤笑平☆ナイト」に爆睡で行きそびれてしまった。


で、忘れてたことがよみがえってきた。


『隣のハートさん、ゴメンなさい』

わたしのドヤの部屋の隣は、ハートの刺繍を洋服の胸に縫いつけている老紳士だった。

掃除機かけてて、注意されたことで話すようになった。

「飲みにいこう、ウィスキーおごるから」と何度も言われたけど、忘れてた。。。

嫌いじゃなかとよ、ハートさん、忘れていた。

ハートさんに薦められたボールペンも買い忘れた、ユウリンドウの3階にあるって教えてくれたのに。


こんなことがポツポツ帰ってきた。忘れないよう、少しづつ書いていこう。


竹之下
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by kotobukitogether | 2010-12-15 19:01 | 第1回秋(2010)
2010年 12月 08日

7日(火)、中目黒

ども竹村です。
東京に移動して旅の最終日は、ギャラリーをめぐりました。日比谷でカオスラウンジを観て、中目黒でミヅマアクションに行き、最後に青山のビリケンギャラリーでクリスマスソングス展というのを観ました。ここでは合宿参加者の幸田さんの作品について感想を。中目黒のミヅマでやっていた「眼差しと好奇心 vol.6」というグループ展です。


幸田千依さんの展示

入ってまず、正面に巨大な絵があって、様々な人がたくさん泳ぎ合っていました。へーすげーこれいったいだれの作品だ、と思ったらそれが幸田さんの作品でした。正直びびりました。圧倒的でした。失礼を承知であえて言うと、幸田さんってこんなにすごい絵を描く人だったのか!と驚きました。というのも、寿で観た作品と比べると、色彩の多様さ、そして光の反射する波や、肌の表面を構成する面の数がともに圧倒的な厚みをもって迫ってきたからでした。きっと時間をかけて少しずつ描いていくことで本領を発揮するタイプの人なのだろうなと思いました(本人も、だから乾くのが速いアクリルよりも油絵が向いているとおっしゃっていました)。

寿での作品は(ギャラリー入り口の一点を除いて)おそらく時間が限られた中で悩みながら製作されたもので、本人も完成度には不満があるようでした。ただ、それはそれで、悩んだ時間が筆の不在として、あるいは精度と引き換えに得られた軽やかさとして作品に現われているならば、芸術行為としてトータルに見た時には同じ重さを持ってくるのではないか、とも感じました。

さてこの大きな絵、「代々木・相関図・インターネット」と題されており、たくさんのキャンバスが繋ぎ合わされてひとつの巨大なプールを形成しています。まずすごいなと思ったのは、色彩の淡い豊かさです。泳ぐひとや波の光が様々な色となって水に溶け合っています。幸田さんの作品で特徴的なのは、水面の多様な表情を描いている点で、ある作品では雲が映っていたり、ある作品では夜の闇と月の光が映っていたりするのですが、水中に身を入れた人間のまわりに生まれる波紋を丁寧に描いていることがとりわけ印象的でした。その波紋は人のまわりを円になって広がり、風がなければ形をつくることのない水面にメッセージを生んでいるかのようです。時おり立ち上がる飛沫(しぶき)も印象的でした。

この巨大な作品を観て感じたことは、ひとはある場所では無関心によって接近し、関心によってむしろ遠のくということです。というのは、左端に溺れたらしき人があり、その周りを人が距離をとって取り巻いている絵があったからです。プールの全体において人は隣り合っているのに、知らぬ者同士は特に向き合う様子もありません。考えてみれば満員電車や混雑したプールというのは、ある意味で隣にいる人間に関心がないからこそ接近していられるとも言えます。逆に関心を持った相手と対する場合にはそれなりの間合いというのが生まれてきます。ここでも、寿ではこれと逆ではないにしろ、違った関係の形があったなと思い出しました。そこでは関心を持った者同士が接近し触れ合い、関心のない者同志は互いに一定の距離を取っていたのでした。寿を生きるための、ひとつの尊厳ある態度なのかもしれません。

過去の作品を観ると、幸田さんが一貫して水面を描いてこられたことがわかりますが、とりわけ印象に残ったのは水中を描いた「水面下では」という作品です。水中のぼやけた具合や差し込む光、そして下から見上げた時の水面をうまく描いており、なによりこれが学校の黒板にはめこまれていたのが面白かったです(幸田さんのホームページで写真を見れます)。

「寿うずまき」という名前が提案されたとき、ひとり幸田さんが激しく反応したという逸話を聞いていたのですが、一連の作品を観てその理由がわかりました。ある意味でうずまきは、幸田さんの絵の中心的なモチーフのひとつだったわけです。作品ファイルを観ると「代々木・相関図・インターネット」は少しずつ書き足してきたものであることがわかりますが、横に広がっていくそれは、まさにインターネットのようでもあり、寿で繋がっている絵を配るという発想も、作家活動の継続の中から生まれてきたのだなとわかりました。


点在する個々の作品/行為がたとえ目に見える形で報われなかったとしても、投げられたものは必ずなんらかの波紋をつくる、結果ではなく投げること、あるいは投げるに至る過程そのものが大事なんだと、幸田さんの今回の作品から教えられたように思います。

おそらくこれは柏にいっしょに行った魚くんも感じたと思いますが、展示会場で力強い作品を前にすると、「絵描ける人(作品つくれる人)ってずるいな~」って思います。くやしいね。



夜は友人に誘ってもらい新宿のゴールデン街に行ったのですが、なんとその店で働いていたのが、柏のislandで展示していた久恒亜由美さんだったことも、この旅の驚きのひとつでした。あらためて作家同士のネットワークと、代々木インターネット的な繋がりの奇跡に、感謝したいと思います。

とても短い間でしたが今回の合宿はとても楽しかったです。
事務局の橋本さんはじめ、みなさん本当にありがとうございました。
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by kotobukitogether | 2010-12-08 20:38 | 第1回秋(2010)
2010年 12月 08日

6日(月)、柏

こんにちは、竹村れす。
無事京都に戻ってまいりました。

寿うずまきを終えて翌日、寿を去って柏に向かいました。笑平くんの車で、魚くんといっしょに。寿からは離れますが、ぼくにとっては合宿の延長なので、関係なぐもないだろうと、少し書きます。

柏ではislandギャラリーのネオニューウェーブパート2展を見ました。訳すと「さらに新しい新しい波」とでもなりましょうか。個々の作品もそうですが、こういうとんでもない企画展をやっちゃうこのギャラリーはすげえなと思いました。ぜんぶは書けないので笑平くんの展示に絞って感想を。

加藤笑平さんの展示

おそらく笑平くんが作品(行為)において最も重視している感覚器官は触覚だろうなと思いました。もちろん五感全部だと本人は言うと思いますが、あえて言うなら触覚だろうなと。というのも、今回いちばん大きなスクリーンで映していたビデオインスタレーションは、柏の街で通行人の肩をたたいて声を掛けるというもので、なんでもないことのように見えて、実はすごく刺激的な映像でした。それだけ人に触れるということがなにか非日常的な行為になっていってるのかもしれません。あるいは壁に掛けられた絵画作品の筆の質感、絵画の前に並べられた空き缶や黴の生えた餅やゴミ(かしらごちそうかしら)、床に置かれた落ち葉や木の破片などを見ても、抽象的なイメージよりも質感によって喚起される具体的なにおいや肌触りが、笑平くんの作品を包んでひとつの空間をつくりあげているように感じたのです。

現代を生きる表現者たちはみな、なんらかの仕方で、高度に発達したコミュニケーション技術と向き合うことになるだろうと思います。一方では大量のメディア情報を駆使してそれをミックスしたり、コンピューターを駆使して新たなデザインの世界を切り開く表現者たちがいます。他方で笑平くんのように、土への敬意を強める表現者がいます。ただし笑平くんは非常に意識的であって、素朴な信仰心からではなく、皮肉とユーモアの混ざった敬意でもって土地に向き合っています。その意味で極めて現代的なコンセプトの持ち主だと思いました。しかしそれでいて全くシニカルなところがないのが笑平くんの魅力であって、だから彼と関わる人間はみな、その純粋な目から肯定的な力と愛を受け取るのだと思います。

この展示を見て、寿では人に触れることがもっともっと近くにあったなと思い返しました。柏と(あるいはぼくらの住む街と)寿の、この差異はいったいなんなのでしょうか。

魚くんとラーメンを食べて、柏の駅で別れました。
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by kotobukitogether | 2010-12-08 17:52 | 第1回秋(2010)
2010年 12月 07日

ちゃんと働かないと

あんな風になってしまうよ。
恐ろしいね。
怖いね。
汚いね。

あの人は恐ろしくて怖くて汚い人。

それは誰の心ですか?

その人が恐ろしくて怖くて汚い人でなくなったら、ちゃんと働かないことに怯えなくてもいいね。

僕の、恐ろしくて怖くて汚い心を手放せば、その人は変わるかな?
少なくとも
僕は変わるね。

そんな変わった僕で会ったら、その人は変わると思う。
僕が変わったのと同じように変わると思う。

誰からもらったって?
そりゃあ あなただ。
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by kotobukitogether | 2010-12-07 20:23 | 第1回秋(2010)
2010年 12月 07日

鹿児島より

鹿児島より浦田琴恵です。

「寿町おじゃましマップ」が金曜日の夜に出来あがり、土曜と日曜は、ツイッターとブログでみんなの顔を確認したり、ことぶき共同診療所・寿町関係資料室発行の冊子「寿町ドヤ街」と「ことぶき共同診療所10周年誌」をぱらぱら読んだりしてました。


月曜日、洗濯や布団干しをしていると、加藤笑平くんから電話。抜け殻みたいな笑平くんの声の後、近くにいたという佐藤真理子さんにかわる。いつもどおりの口調でほっとする。それぞれの速度で季節が巡ってく寿の日常の感じだ。

私もなんか、ぎゅっと濃い、良い時間を過ごしたような気がする。
体調が安定しているせいもあるかもしれないけど(体調の悪かった夏に、いくつかのプロジェクトに出した作品は、すげー頑張ったのにイマイチのが多かった;)まめに電話をしてもらえたり、ブログで参加したりできたのが良かったのかもしれない。


しかし横浜ってとこは周りにキラキラしたアートやなんやらがたくさんあって、いとも簡単に「アートに惑わされてしまう」場所だ。アート界のお偉いさんに評価されたとか、かっこいい記録写真とか、どこかの大型プロジェクトと比較してどうとか・・・・もちろん続けていったり(事務局としては大事なことだと思うし)、モチベーションを維持する上では絶対に必要なことなんだけど、寿において私たち作家は「それはそれで置いといて」を肝に銘じながらやることが、けっこう難しくて、でもとても大事なことかもしれないな、と思った。


幸いにも、今回の合宿でもうちらはきっと真摯に寿に向かっているのです。これからもそうします。そしてその姿をきちんと見ててくれる大人や仲間が周りにはたくさんいる。寿合宿は、離れてても続けられそうです。まだがんばります。
みんなありがとう!!!
一緒にお酒飲みたいよ~~~~
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by kotobukitogether | 2010-12-07 11:05 | 第1回秋(2010)
2010年 12月 06日

寿うずまき寿スープ

ああ〜 もうたそがれ時か
幸田です

イベント終わりました 呑みました食いました始発で帰りました寝ました今起きました

頭ん中がもりだくさんの寿スープ状態で
咀嚼は時間かかるでしょう
でもきっと 今しか書けない想いもあると思うふんので書きます
個人的なやつ

一日目のイベントはほんとうにぼんやりで それはそれで素敵でした
だれも気張らず 寿スープにどろりと溶けちゃう系でした
それが良かったのだ 
なぜなら次の日 皆がこう思った
今日は、もりあげる
表現しきる
人の表現に共鳴する

それが二日目の寿うずまきでした
わたしたちはたぶん 寿スープの底から浮かび上がった具でした
じゃがいもや魚の骨や魚肉ソーセージやキャベツでした
二日目のイベントには 表現しようという意思がありました ん

そうするとやはり みてくれるおじさんも多かったし つられて共鳴するひとも多かった
いっこいっこのパフォーマンスがぐっときた

私は私の表現をやろうと決めていたので 「寿に絵を放つプロジェクト」のことをけっこうなかなか考えていました
この日の出会いはすごかった
今もまだよくわからない なんといったらいいのか
でも、すごかった 
言葉にしてみよう できるだけ

一日目は、ふたりの寿住人に絵を放つことができた
一人目はイベント開始時間前にふらりと来たおじいさんで、言葉少なだったけれど
私がしどろもどろ、絵について話すのをにこにこしながら聴いてから
真ん中の絵、寿を飛び出して海へでた絵を欲しいと言ってくれた
おじいさんの家まで行って一緒に飾りたい、とへどもど言うといいよと言ってくれたので
家何処?すぐそこ で行ったらほんとうにすぐそこの段ボールハウスだった
茶色い段ボールハウスの横に、真っ青な海と空と雲の絵が置かれた
嬉しかった
名前を聞いて、名前を言って、ありがとう嬉しいと言った

二人目は一見寿住人に見えないふつうのおじさん 自らカメラを持ち、イベントを写真に撮っていた
話していくとドヤ住まいとのこと おじさんちいっていい?というとイエスオフコースてなかんじだったので 早速行った
すごく綺麗なドヤで日当たりもよく、3畳で狭いながらも落ち着く良い部屋
収納がないから、壁に沢山のビニール袋がかけてあり、袋だらけだった
さあて何処におく?なんつって見渡すと おじさんの趣味らしいコレクションのヌードピンナップが壁にたてかけてあったので、その前に置いたりした
美女の裸体より絵画っしょ!
笑いながら
おじさんとは、ドヤ事情、生活保護や仕事のはなしした ポジティブ、というかそういう生き方をきちんと肯定しているように見えた
その奥底まではわからなかったけれどもしかし

その後も、寿スープに釣られて立ち寄る何人かのおじさんと絵の話をした
やはりのんびり会話することが大事だなあ この日辛かった というか目的見失いそうになったのは
写真の話を持ち出すと断られるケース
わたしも話しながら なんだか勧誘のようだ と思ったりするときもあって
なにか小さな不協和音かんじるときもあった
「そうか、写真とかそういうのないとだめなんだ、そういうことか、だからみんなあんまりもらわないんだよ、そういうことか」と言われたとき ソウデスヨネー と思って宗教の勧誘のひとみたいやん ガックシ となりかけた
わたしはこのプロジェクトでなにを達成するつもりなのか 寿スープ呑みながらぼんやりしちゃった
でもしかし 大切なこともきっと含まれていると信じるしかないす すす

そういうわけで二日目のイベント
今日はずっと絵の近くにいておじさんと会話する そこからはじめる と決意
しかしパフォーマンス面白く 結局しばらくぼんやり過ごす
するとあるおじさんが(本人はお兄さんだ!と言い張った)絵、欲しい とアル中風に言ってきた
くたびれたかんじの人で、でも人が良さそうにくしゃっと笑う人だった
たくさん話をした そのおじ、お兄さんが選んだのは最後の絵 寿をでてぐるりとまわってまた横浜の港に帰り着いて人間が水中を飛び出す絵
いいやつ選んだねと言って。
結局最初はナンパだったと思う 女の話や自分が元海上自衛隊だったこと自衛隊のコミュニティサイトでゴルゴ13と名乗っていること作詞家を目指していることその詩のおもしろさ
バージンLOVE
30歳処女の彼女がいるらしいがふられたらしいこと
しどろもどろしつつも自分の人生を語ってくる そして今しどろもどろどうにかわたしと繋がろうとしていることがギューンとくる
わたしとお兄さんの間に絵があった。
実はこのお兄さん 寿に住んでいなかった 2年前くらいに身体を壊しかなんかし病院だかアパートだかとにかく違う場所に住んでいる よく寿に遊びにくるらしいかんじから
このお兄さんは本当は寿に帰ってきたいのではないかと思った
外でドヤでなくアパートに暮らしていると言ったけれどそこには何か 負の理由がありそうだった
そして ともだちが居る と言って連れてきたひと
それがIさんだった
白髪のおじさんで、片足が悪いらしく松葉杖だけれども、寿の他の住人とは何か内側がぜんぜん違うと思った
Iさんの目は印象的だった 優しい目で寂しい目で悲しい目で綺麗な目
Iさんは、お兄さんにスープ呑みにいこうと言われてなんだろう?と思いながら来たらしい
お兄さんが私とIさんを引き合わせて 絵をもらった などしゃべる
このひととはなにか素直に喋れる となんとなく思って、できるだけ丁寧に、絵について話した
おじさんははじめわたしに「あなたはこんなふうに今しゃべっていてへいきなの?だいじょうぶ?ここがどんなとこか知ってきたの?」と言った わたしがこうして喋るのに驚いていた
それがなにか悲しかった
だいじょうぶにきまってるじゃん! そんな悲しいこと言うなよと思ったけれどふつうにして
え?なんで?ふつうじゃんーと言いました
Iさんはわたしの言葉に耳を傾けてしばらく思案したり 質問したり そんでもってとびきり優しかった
コーヒーをごちそうになりたばこもごちそうになり 絵のことだけでなく 寿についてのことやなんかも素直に喋れた Iさんは悲しみを持っているひとだった でもそれが歪み無く 人間として芯を持っているというか うまく言えないけれど まあ 大人だった とびきり優しい大人だった
Iさんは わたしのやっていることに対して肯定のまなざし
話しながらどんどん深まっていく会話だった
底に流れる悲しみの感情だった
そこにさっきのお兄さんが入ってくると すごく明るい雰囲気になる
Iさんはお兄さんを どうしようもねえなあと言いながらすごく大切にしているようで
お兄さんもIさんを信頼していた
三人で話すと ともだち同士みたいだった
へらへらしていて可愛らしくもらい煙草ばかり女のことと電話ばかりしているお兄さんと
優しいIさんと私が さっき出会ったばかりとは思えないくらい

そしてIさんは お兄さんが貰った絵のとなり、旅の途中の風景、山と滝と岩と紅葉の絵を貰ってくれた ふたりの絵は隣同士で ぴたっとくっつくことができる
笑ってた

そしてIさんのドヤにいこう!となって、恥ずかしいよ、と言っていたけれどお兄さんがいこいこって軽快に言って 三宅さんも連れて四人でドヤへ
綺麗なドヤ 整頓されて無駄の無い日用品 綺麗なベッド 明るい八階の光
狭くて四人はいるときゅうきゅう 部屋で談笑して摩訶不思議
ともだちの部屋に遊びにきたみたい Iさん 嬉しそうに恥ずかしそうに こんな瞬間はこれからもう二度とないだろうな 変だな不思議だな さっきまで知らない人同士だったのにな 出会いは不思議だな と言った 
絵にタイトルをつけよう!と言って Iさんは「水面にて」とつけ、おにいさんは「横浜に帰る」とつけてくれた嬉しかった
みんなで写真撮って それをすぐ現像して渡した 写真の裏に
また寿で会おう!って書いて渡したらふたりともしーんとしてじーんとして

イベントが終わってIさん帰るねって言って またなっていって またきっと寿で会えるなって言ってもいっかい 出会いって不思議だなっていって わたしも 絵を描いていて良かったこのプロジェクトやって良かったって言ってさようならした
そのあと近藤さんが絵を貰ってくれた 夕立の山と雲の絵 寿日労には沢山の絵や詩や写真がこまごま飾られていて、そこに私の絵も仲間入りした 寿に来たらいつでもまた会える私の絵 いとをかし

そのあとみんなで達成感とほんとうに心地よい充足とお酒と美味しいもので笑顔弾けて
たくさんたくさん話して 
深夜の伊勢佐木町歩いて黄金町まで行って 視聴室行って話して帰りに大王ラーメン食べてもう明け方で寿に戻ってきたら街全体が家みたいで 人の寝息すうすう聴こえてくるようで
Iさんもお兄さんもおじいさんもおじさんも どうか良い眠りをって願って
魚君や竹之下君や鹿島君とさようならして 事務所に帰ってうすぐらくしんとした中 去りがたい気持ちとでもなにかもう 次のことはじまっているかんじと眠気の中
さみしそうで可愛らしい笑平くんとさようならして
しいんとした黄金の沈黙みたいな中 竹村くんと橋本さんとなごりおしくさようならして始発で帰った
眠さでもうろうとしつつも一番底に沈んでいるこの感情はなんだろうか
悲しさだろうか 
Iさんの目が忘れられないっす 絵を放つプロジェクトはなんだったんだろうか
どうなりたかったんだろうか 走り出したいきもちフルマックス!
よくわからずでもすっごく嬉しくて悲しくてクスン とかしながらすぐ爆睡

今日夕方 起きて やっぱり寿スープのこと想った
かき混ぜてうずまくと底から表れるいろいろな感情
出汁のもとはカオスでもはや意味解んない
うわずみをすくって 美味しく生きていく
意味解んない出汁には悲しみがある
けれどスープは複雑で美味しいしたまには具も表れるしあったかいし
今日は渦がおさまってうわずみは底と分離して透明の澄んだ汁に
でもまたかき混ぜるもん
とかぼんやり考えていたらピンと来た
絵を放つプロジェクトってなんだったのか
私とおじさんの間になにが起こったのか
それはねー 芸術の力です 絵とわたしとおじさんのあいだに芸術の力がありました
その力をわたしはおじさんと分かち合いました
わたしは芸術の力をもっと信じられるようになりました
個人的な出会いや邂逅は 芸術っつー大きいものを体現しました
信じている芸術で 何かができたと思いました
それが嬉しいから
これからまだまだ 絵を描いていこうと思います

長文失礼!ありがとうございました
寿合宿はこれからもずうっと続くよ

幸田千依

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by kotobukitogether | 2010-12-06 18:02 | 第1回秋(2010)
2010年 12月 06日

寿うずまきを終えて

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なんか、感動した。
良いイベントになったと思う。
隙だらけの
良いイベントだったと思う。
よく見れば、寿は舞踏家ばかり。存在がフリージャズであり、ずっと昔から前衛芸術だ。

キレイキレイに整えられた調和に違和感を感じた僕みたいな人。
此処に在るよ!

前日よりも、メンバーみんなが創り出すパワーを、全体を味わいながら発揮出来たと思う。
寿住人によるカラオケカオスも楽しかった。

寿フリーコンサート。アースデイ。武蔵野はらっぱ祭り。
やってみて楽しかったから大きくなっお祭りが「こうでないと」に変わってく。
そんな楽しいお祭りの、一番最初の「こんなんもあり」に居合わせた感動がありました。

「こうでないと」に費やすパワーを
「こんなんもあり」に変えよう。

常に今に在りたい。
深く、そう感じました。

加藤笑平のドヤにて執筆。
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by kotobukitogether | 2010-12-06 13:08 | 第1回秋(2010)
2010年 12月 05日

寿うずまき2日目

2日目はよく眠れたせいか、少し調子が回復しました。

イベントがはじまる前に、ひとり、春合宿の日記を読みました。

寿うずまき2日目
この日も平魚泳くんの太鼓からはじまりました。心なしか昨日よりもひとが増えています。

続いて今日は、カラオケとダンスのコラボはせずに、竹之下亮くんの司会で純粋にカラオケのみをやりました。下の広場にも10人くらい集まってきていて、「横浜たそがれ」や「王将」「大阪で生まれた女やさかい」などが歌われていました。肩を組んで歌ったことは楽しかったですし、とりわけ「王将」は歌詞をまったく無視したふたりの歌いっぷりが会場の笑いを誘っていました。

その後、今日はソロで竹之下くんのダンスでした。センターと交差点とのちょうど間にある植え込みの木に身体を入れて、太陽に向かって伸びる木のように踊っていました。木と一体化した竹之下くんの周囲には寿の人と街。本人いわく、寿の街を借景として踊りたかったということ。そして、センターと路上との橋渡しのようなダンスができたらいいなと思い、その中間の場所を選んだとのことでした。カラオケを歌ってくれたひとりのおじさんが、「これは芸術や。おれにはわかる」と言って真剣に見ていました。寿の街には無数の(辛口)批評家がいるので、芸術家はいつも身を正されます。

竹村は今日は、うんこ詩シリーズ三連作を読みました。
竹之下くんのダンスを真剣に見ていたおじさんから、「お前の詩は一方的やけど、まあそれでいい。荒削りやけどぶつけたらいいわ。でも才能はない。はっきりいって才能はない。おれにはわかる。お前は小さい人間や。おれみたいな大きな人間とはちがうんや。時間がもったいないからもう話かけんじゃねーぞ」と言われました。もちろん落ち込みましたが、寿でのこのような体験は自分を見つめなおす良いきっかけになりました。一方的だと言われたのは当たっていて、場と共鳴するためにはもっと時間が必要だと感じました。

今日は加藤笑平くんと菊池容作くんがナイスタック強力1年目というタッグを組んでのパフォーマンスでした。突如土俵にふたりの若者が現れました。鞄を抱えてうつむいています。何をするかと思ったら、いきなり鞄の中身を地面にぶちまけました。そして投げ出された自分の所有物をひとつずつ拾いあげて、将棋をするかのように、真ん中に積み上げていきました。その様子がとても滑稽で面白くて、意味不明なはずが、おじさんたちからもヤジは飛ばず、会場の注目を集めていました。おそらく、まず自分の所有物を地面に放り出すという動作が潔く、さらにその物を全くべつの使い方、遊びに転用してしまうというのがひとの興味をひいたのだと思います。ぼくはひとり、おじさんたちがわらわらと集まってきて土俵の中に物を置いていくという妄想にふけっていました。そして最後に、その山からまた少しずつ物を取り出して、ふたりは殺し合いの遊びをはじめました。お鍋のふたと歯ブラシの戦い、革ジャンとお菓子の戦いなど、何度死んでも生き返る子どもの遊びに、会場の笑いを誘っていました。このパフォーマンスは本当によかったです。特に菊池さんの風貌が都会にいる一見普通だけどナイフ持ってるかもしれない青年の身体を表現していて妙にリアルでした。

昼休みの間に、幸田千依さんの展示を見に行きました。
「入り口の穴、出口の光」というテーマで、まず入ると大きなキャンバス画があり、木立の先に泉が光っていました。本人曰く、寿町の入り口と出口の境界を描きたかったとのこと。この一枚は他のドローウィングからはひとつ独立した印象を与え、とても美しいイメージでした。特にドヤなどが描かれているわけではありませんでしたが、手前が真っ黒に塗られていて、穴の中の暗さを表現しているのだなとわかりました。ホステルの奥に進むと、ドローウィングの連作があって、下半分が水中に泳ぐ人の下半身、上半分が街の景色という構成になっていました。素朴に、どうして水中のイメージを取り入れたのかなと不思議に思い、後で聞いてみることにしました。今回、幸田さんの作品で面白いのは、絵を寿に住む人たちにあげて、その人の部屋まで持っていくという試みです。ひとつひとつの絵は独立しているけれどもつながっており、絵と絵の横のつながりと、外から来た幸田さんとの繋がりがそこに生まれるというわけです。作品に水のイメージが使われているのは、水面によって寿と別の世界との境界を表現しており、これはプールの監視員をしている経験が生きているとのこと。水面というのは上から見ると水中が屈折して見えます。また、水中は水中で、また別の世界が見えます。水からあがればもうひとつ別の世界です。幸田さんの連作の最後の作品は、水中から人が出て、また寿へと帰っていくというイメージで描かれており、パフォーマンスとはちがってひとを巻き込むのが難しい絵画作品で、見事に人との関わりをつくっていると感じました。

その後、ユミソンさんの音声作品を少し聴かせてもらいました。
途中で止まってしまったので残念だったんですが、ヘッドフォンで静かな音楽とささやきを聴いていると、孤独が癒されていくような思いがしました。大都市でひとりになりたい時、あるいはひとりでいたいけれども誰かと対話していたいとき、そんな気持ちにすっと入ってくるような作品でした。音を聴きながらながめる街は、またいつもとは違って見えました。

昼休み明けは、大藪さんの歌でした。ぜんぶちゃんとは聞けなかったのですが、「おれももてたい」という歌詞が象徴するような、親しみやすい歌で、会場のおじさんたちもひときわ笑い、聞き入っていました。大藪さんは寿に住まれている方で、黒田さんと同じく、その人が生きてきた道が、にじみ出ている歌だと感じました。

続いて竹村がうんこシリーズの三作目「考察 その参」を読みました。この詩は寿に来てから書いた詩で、もともとは金石範(キムソッポム)の『鴉の死』という小説に入っている「糞と自由と」という作品をもとにして書いたものなんですが、詩中の「生き抜く力とは弱さではないか、弱さとはひとに頼る力のことではないか」という一節は、寿に来て得たインスピレーションから生まれた言葉です。強制連行された朝鮮人労働者が脱走に失敗する過程で見た自由の光、というテーマの詩なので、この場で読むことがふさわしいのかどうか躊躇しましたが、思い切ってリラックスして読むことにしました。

そして竹之下さんがユミソンさんの音楽を聞きながら踊ったのはとてもよかったです。
竹之下くんのパフォーマンス自体も良かったけれど、ユミソンさんなりにどうにか現場の生な雰囲気と交われないかと考え、竹之下さんにお願いし、協力しあってひとつの作品が生まれるというその過程がなにより感動的でした。竹之下くんの細い身体を見ながらユミソンさんの音楽に思いを馳せました。

プロジェクト大山は、今日は古家さんと加藤さんとがコラボで出てきて、ふんどしの加藤さんとセクシー衣装の(とはいえ全身を青で包むこの衣装を単にセクシーとだけ表現していいのかわかりませんが)古家さんのコンビが面白かったです。昨日よりもたくさんの人を巻き込んで、最後はぐるぐるとまわりました。

そして今日も魚くんがしめてくれました。
魚くんの歌はほんとうに力強くて、世界を放浪してきた人なんだなと(たぶん)、感じました。
司会も含めて、ほんとうにありがとうございました。

その後のこともいろいろありますが、まずはここまで。
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by kotobukitogether | 2010-12-05 15:57 | 第1回秋(2010)