寿合宿日記!!

kbtogether.exblog.jp
ブログトップ

タグ:竹村正人 ( 6 ) タグの人気記事


2011年 01月 24日

詩の雑誌、最新号でけました。

どもっす竹村っす。

最近は映画に文学に励んでいます。

寿とは直接関係のないお知らせで恐縮なのですが、
友人とつくっている『紫陽』(しよう)という詩の雑誌の、
最新号がでけました。寿と黄金町で読んだ詩も載ってます。

こことか、ここを参照ください。

読んでくださるという方には郵送しますので、竹村までご一報をいただけたらなと思います。

tikuson3(a)yahoo.co.jp

ですんで、よろぴく。
[PR]

by kotobukitogether | 2011-01-24 22:48 | その他
2010年 12月 08日

7日(火)、中目黒

ども竹村です。
東京に移動して旅の最終日は、ギャラリーをめぐりました。日比谷でカオスラウンジを観て、中目黒でミヅマアクションに行き、最後に青山のビリケンギャラリーでクリスマスソングス展というのを観ました。ここでは合宿参加者の幸田さんの作品について感想を。中目黒のミヅマでやっていた「眼差しと好奇心 vol.6」というグループ展です。


幸田千依さんの展示

入ってまず、正面に巨大な絵があって、様々な人がたくさん泳ぎ合っていました。へーすげーこれいったいだれの作品だ、と思ったらそれが幸田さんの作品でした。正直びびりました。圧倒的でした。失礼を承知であえて言うと、幸田さんってこんなにすごい絵を描く人だったのか!と驚きました。というのも、寿で観た作品と比べると、色彩の多様さ、そして光の反射する波や、肌の表面を構成する面の数がともに圧倒的な厚みをもって迫ってきたからでした。きっと時間をかけて少しずつ描いていくことで本領を発揮するタイプの人なのだろうなと思いました(本人も、だから乾くのが速いアクリルよりも油絵が向いているとおっしゃっていました)。

寿での作品は(ギャラリー入り口の一点を除いて)おそらく時間が限られた中で悩みながら製作されたもので、本人も完成度には不満があるようでした。ただ、それはそれで、悩んだ時間が筆の不在として、あるいは精度と引き換えに得られた軽やかさとして作品に現われているならば、芸術行為としてトータルに見た時には同じ重さを持ってくるのではないか、とも感じました。

さてこの大きな絵、「代々木・相関図・インターネット」と題されており、たくさんのキャンバスが繋ぎ合わされてひとつの巨大なプールを形成しています。まずすごいなと思ったのは、色彩の淡い豊かさです。泳ぐひとや波の光が様々な色となって水に溶け合っています。幸田さんの作品で特徴的なのは、水面の多様な表情を描いている点で、ある作品では雲が映っていたり、ある作品では夜の闇と月の光が映っていたりするのですが、水中に身を入れた人間のまわりに生まれる波紋を丁寧に描いていることがとりわけ印象的でした。その波紋は人のまわりを円になって広がり、風がなければ形をつくることのない水面にメッセージを生んでいるかのようです。時おり立ち上がる飛沫(しぶき)も印象的でした。

この巨大な作品を観て感じたことは、ひとはある場所では無関心によって接近し、関心によってむしろ遠のくということです。というのは、左端に溺れたらしき人があり、その周りを人が距離をとって取り巻いている絵があったからです。プールの全体において人は隣り合っているのに、知らぬ者同士は特に向き合う様子もありません。考えてみれば満員電車や混雑したプールというのは、ある意味で隣にいる人間に関心がないからこそ接近していられるとも言えます。逆に関心を持った相手と対する場合にはそれなりの間合いというのが生まれてきます。ここでも、寿ではこれと逆ではないにしろ、違った関係の形があったなと思い出しました。そこでは関心を持った者同士が接近し触れ合い、関心のない者同志は互いに一定の距離を取っていたのでした。寿を生きるための、ひとつの尊厳ある態度なのかもしれません。

過去の作品を観ると、幸田さんが一貫して水面を描いてこられたことがわかりますが、とりわけ印象に残ったのは水中を描いた「水面下では」という作品です。水中のぼやけた具合や差し込む光、そして下から見上げた時の水面をうまく描いており、なによりこれが学校の黒板にはめこまれていたのが面白かったです(幸田さんのホームページで写真を見れます)。

「寿うずまき」という名前が提案されたとき、ひとり幸田さんが激しく反応したという逸話を聞いていたのですが、一連の作品を観てその理由がわかりました。ある意味でうずまきは、幸田さんの絵の中心的なモチーフのひとつだったわけです。作品ファイルを観ると「代々木・相関図・インターネット」は少しずつ書き足してきたものであることがわかりますが、横に広がっていくそれは、まさにインターネットのようでもあり、寿で繋がっている絵を配るという発想も、作家活動の継続の中から生まれてきたのだなとわかりました。


点在する個々の作品/行為がたとえ目に見える形で報われなかったとしても、投げられたものは必ずなんらかの波紋をつくる、結果ではなく投げること、あるいは投げるに至る過程そのものが大事なんだと、幸田さんの今回の作品から教えられたように思います。

おそらくこれは柏にいっしょに行った魚くんも感じたと思いますが、展示会場で力強い作品を前にすると、「絵描ける人(作品つくれる人)ってずるいな~」って思います。くやしいね。



夜は友人に誘ってもらい新宿のゴールデン街に行ったのですが、なんとその店で働いていたのが、柏のislandで展示していた久恒亜由美さんだったことも、この旅の驚きのひとつでした。あらためて作家同士のネットワークと、代々木インターネット的な繋がりの奇跡に、感謝したいと思います。

とても短い間でしたが今回の合宿はとても楽しかったです。
事務局の橋本さんはじめ、みなさん本当にありがとうございました。
[PR]

by kotobukitogether | 2010-12-08 20:38 | 第1回秋(2010)
2010年 12月 08日

6日(月)、柏

こんにちは、竹村れす。
無事京都に戻ってまいりました。

寿うずまきを終えて翌日、寿を去って柏に向かいました。笑平くんの車で、魚くんといっしょに。寿からは離れますが、ぼくにとっては合宿の延長なので、関係なぐもないだろうと、少し書きます。

柏ではislandギャラリーのネオニューウェーブパート2展を見ました。訳すと「さらに新しい新しい波」とでもなりましょうか。個々の作品もそうですが、こういうとんでもない企画展をやっちゃうこのギャラリーはすげえなと思いました。ぜんぶは書けないので笑平くんの展示に絞って感想を。

加藤笑平さんの展示

おそらく笑平くんが作品(行為)において最も重視している感覚器官は触覚だろうなと思いました。もちろん五感全部だと本人は言うと思いますが、あえて言うなら触覚だろうなと。というのも、今回いちばん大きなスクリーンで映していたビデオインスタレーションは、柏の街で通行人の肩をたたいて声を掛けるというもので、なんでもないことのように見えて、実はすごく刺激的な映像でした。それだけ人に触れるということがなにか非日常的な行為になっていってるのかもしれません。あるいは壁に掛けられた絵画作品の筆の質感、絵画の前に並べられた空き缶や黴の生えた餅やゴミ(かしらごちそうかしら)、床に置かれた落ち葉や木の破片などを見ても、抽象的なイメージよりも質感によって喚起される具体的なにおいや肌触りが、笑平くんの作品を包んでひとつの空間をつくりあげているように感じたのです。

現代を生きる表現者たちはみな、なんらかの仕方で、高度に発達したコミュニケーション技術と向き合うことになるだろうと思います。一方では大量のメディア情報を駆使してそれをミックスしたり、コンピューターを駆使して新たなデザインの世界を切り開く表現者たちがいます。他方で笑平くんのように、土への敬意を強める表現者がいます。ただし笑平くんは非常に意識的であって、素朴な信仰心からではなく、皮肉とユーモアの混ざった敬意でもって土地に向き合っています。その意味で極めて現代的なコンセプトの持ち主だと思いました。しかしそれでいて全くシニカルなところがないのが笑平くんの魅力であって、だから彼と関わる人間はみな、その純粋な目から肯定的な力と愛を受け取るのだと思います。

この展示を見て、寿では人に触れることがもっともっと近くにあったなと思い返しました。柏と(あるいはぼくらの住む街と)寿の、この差異はいったいなんなのでしょうか。

魚くんとラーメンを食べて、柏の駅で別れました。
[PR]

by kotobukitogether | 2010-12-08 17:52 | 第1回秋(2010)
2010年 12月 05日

寿うずまき2日目

2日目はよく眠れたせいか、少し調子が回復しました。

イベントがはじまる前に、ひとり、春合宿の日記を読みました。

寿うずまき2日目
この日も平魚泳くんの太鼓からはじまりました。心なしか昨日よりもひとが増えています。

続いて今日は、カラオケとダンスのコラボはせずに、竹之下亮くんの司会で純粋にカラオケのみをやりました。下の広場にも10人くらい集まってきていて、「横浜たそがれ」や「王将」「大阪で生まれた女やさかい」などが歌われていました。肩を組んで歌ったことは楽しかったですし、とりわけ「王将」は歌詞をまったく無視したふたりの歌いっぷりが会場の笑いを誘っていました。

その後、今日はソロで竹之下くんのダンスでした。センターと交差点とのちょうど間にある植え込みの木に身体を入れて、太陽に向かって伸びる木のように踊っていました。木と一体化した竹之下くんの周囲には寿の人と街。本人いわく、寿の街を借景として踊りたかったということ。そして、センターと路上との橋渡しのようなダンスができたらいいなと思い、その中間の場所を選んだとのことでした。カラオケを歌ってくれたひとりのおじさんが、「これは芸術や。おれにはわかる」と言って真剣に見ていました。寿の街には無数の(辛口)批評家がいるので、芸術家はいつも身を正されます。

竹村は今日は、うんこ詩シリーズ三連作を読みました。
竹之下くんのダンスを真剣に見ていたおじさんから、「お前の詩は一方的やけど、まあそれでいい。荒削りやけどぶつけたらいいわ。でも才能はない。はっきりいって才能はない。おれにはわかる。お前は小さい人間や。おれみたいな大きな人間とはちがうんや。時間がもったいないからもう話かけんじゃねーぞ」と言われました。もちろん落ち込みましたが、寿でのこのような体験は自分を見つめなおす良いきっかけになりました。一方的だと言われたのは当たっていて、場と共鳴するためにはもっと時間が必要だと感じました。

今日は加藤笑平くんと菊池容作くんがナイスタック強力1年目というタッグを組んでのパフォーマンスでした。突如土俵にふたりの若者が現れました。鞄を抱えてうつむいています。何をするかと思ったら、いきなり鞄の中身を地面にぶちまけました。そして投げ出された自分の所有物をひとつずつ拾いあげて、将棋をするかのように、真ん中に積み上げていきました。その様子がとても滑稽で面白くて、意味不明なはずが、おじさんたちからもヤジは飛ばず、会場の注目を集めていました。おそらく、まず自分の所有物を地面に放り出すという動作が潔く、さらにその物を全くべつの使い方、遊びに転用してしまうというのがひとの興味をひいたのだと思います。ぼくはひとり、おじさんたちがわらわらと集まってきて土俵の中に物を置いていくという妄想にふけっていました。そして最後に、その山からまた少しずつ物を取り出して、ふたりは殺し合いの遊びをはじめました。お鍋のふたと歯ブラシの戦い、革ジャンとお菓子の戦いなど、何度死んでも生き返る子どもの遊びに、会場の笑いを誘っていました。このパフォーマンスは本当によかったです。特に菊池さんの風貌が都会にいる一見普通だけどナイフ持ってるかもしれない青年の身体を表現していて妙にリアルでした。

昼休みの間に、幸田千依さんの展示を見に行きました。
「入り口の穴、出口の光」というテーマで、まず入ると大きなキャンバス画があり、木立の先に泉が光っていました。本人曰く、寿町の入り口と出口の境界を描きたかったとのこと。この一枚は他のドローウィングからはひとつ独立した印象を与え、とても美しいイメージでした。特にドヤなどが描かれているわけではありませんでしたが、手前が真っ黒に塗られていて、穴の中の暗さを表現しているのだなとわかりました。ホステルの奥に進むと、ドローウィングの連作があって、下半分が水中に泳ぐ人の下半身、上半分が街の景色という構成になっていました。素朴に、どうして水中のイメージを取り入れたのかなと不思議に思い、後で聞いてみることにしました。今回、幸田さんの作品で面白いのは、絵を寿に住む人たちにあげて、その人の部屋まで持っていくという試みです。ひとつひとつの絵は独立しているけれどもつながっており、絵と絵の横のつながりと、外から来た幸田さんとの繋がりがそこに生まれるというわけです。作品に水のイメージが使われているのは、水面によって寿と別の世界との境界を表現しており、これはプールの監視員をしている経験が生きているとのこと。水面というのは上から見ると水中が屈折して見えます。また、水中は水中で、また別の世界が見えます。水からあがればもうひとつ別の世界です。幸田さんの連作の最後の作品は、水中から人が出て、また寿へと帰っていくというイメージで描かれており、パフォーマンスとはちがってひとを巻き込むのが難しい絵画作品で、見事に人との関わりをつくっていると感じました。

その後、ユミソンさんの音声作品を少し聴かせてもらいました。
途中で止まってしまったので残念だったんですが、ヘッドフォンで静かな音楽とささやきを聴いていると、孤独が癒されていくような思いがしました。大都市でひとりになりたい時、あるいはひとりでいたいけれども誰かと対話していたいとき、そんな気持ちにすっと入ってくるような作品でした。音を聴きながらながめる街は、またいつもとは違って見えました。

昼休み明けは、大藪さんの歌でした。ぜんぶちゃんとは聞けなかったのですが、「おれももてたい」という歌詞が象徴するような、親しみやすい歌で、会場のおじさんたちもひときわ笑い、聞き入っていました。大藪さんは寿に住まれている方で、黒田さんと同じく、その人が生きてきた道が、にじみ出ている歌だと感じました。

続いて竹村がうんこシリーズの三作目「考察 その参」を読みました。この詩は寿に来てから書いた詩で、もともとは金石範(キムソッポム)の『鴉の死』という小説に入っている「糞と自由と」という作品をもとにして書いたものなんですが、詩中の「生き抜く力とは弱さではないか、弱さとはひとに頼る力のことではないか」という一節は、寿に来て得たインスピレーションから生まれた言葉です。強制連行された朝鮮人労働者が脱走に失敗する過程で見た自由の光、というテーマの詩なので、この場で読むことがふさわしいのかどうか躊躇しましたが、思い切ってリラックスして読むことにしました。

そして竹之下さんがユミソンさんの音楽を聞きながら踊ったのはとてもよかったです。
竹之下くんのパフォーマンス自体も良かったけれど、ユミソンさんなりにどうにか現場の生な雰囲気と交われないかと考え、竹之下さんにお願いし、協力しあってひとつの作品が生まれるというその過程がなにより感動的でした。竹之下くんの細い身体を見ながらユミソンさんの音楽に思いを馳せました。

プロジェクト大山は、今日は古家さんと加藤さんとがコラボで出てきて、ふんどしの加藤さんとセクシー衣装の(とはいえ全身を青で包むこの衣装を単にセクシーとだけ表現していいのかわかりませんが)古家さんのコンビが面白かったです。昨日よりもたくさんの人を巻き込んで、最後はぐるぐるとまわりました。

そして今日も魚くんがしめてくれました。
魚くんの歌はほんとうに力強くて、世界を放浪してきた人なんだなと(たぶん)、感じました。
司会も含めて、ほんとうにありがとうございました。

その後のこともいろいろありますが、まずはここまで。
[PR]

by kotobukitogether | 2010-12-05 15:57 | 第1回秋(2010)
2010年 12月 05日

寿うずまき1日目

実は黄砂の影響からか体調不良でして、事務所で寝て、起きるとノドが痛くて、発表の日なのに自分の気持ちを調整しかねていました。

9時に事務所に集合して、会議をして、準備に入りました。
ぼくは今回の寿合宿についてほとんど何も聞いていなかったので詩の朗読だけすればいいやと思っていたんですが、みなさん真剣に寿町やそこに住む人との関係性を考えていて、かっこいいなって思いました。

浦田琴恵さんには会ったことがありませんが、赤いツナギを着ていて、骨太なひとなんだろうなと思っていたのですが、合宿の春の日記を読んでみると、浦田さんもみんなも、それぞれにすごく悩んでいて、悩みながらの前進なんだなと親近感が沸きました。

寿うずまき1日目
魚くんの太鼓からはじまりました。
魚くんはまだ人もまばらな中、自分からはじめなければならないのに、胸を張って堂々とやっていて、すごいなと思いました。司会もはきはきしていてよかったです。

次に竹之下くんのカラオケとコンテンポラリーダンスです。
すごいなと思ったのは、路上でいろいろな人に声をかけて、カラオケを歌ってくれる人を探してきていたということです。カラオケを歌うおじさんや、おばさんの周りで、たまに歌うのを邪魔しながら、触れ合いながら、竹之下くんはくるくると踊っていました。歌い手がみな深い抒情の持ち主であったことが印象的でした。

竹村は詩を読みました。朗読をする上で少し迷ったのは、ひとつは声の大きさです。詩は届けようと気張って読むと逆に届かないので、いつもはぼそぼそと読むのですが、広いのでハキハキ読むしかないだろうなと心を決めました。もうひとつは詩の内容で、これはみなさん悩んだと思いますが、わかりやすくて簡単なものを選んだほうがいいのだろうか、難しくて自己満足な朗読では寿の人に伝わらないのではないかと考えました。それで「朝立ちんぽ」という詩から入ったのですが、結局は自分を信じてやるのでなければ、見てるほうもシラケルだろうとそう思って黙々と読みました。後日、「ダダカン」さんについて書いた詩に感想をもらえたことが嬉しかったです。

加藤笑平くんは袋を持ってやってきて、赤い布を敷き、街路へと出ていきました。
ひとりのおじさんがずっと「なにやってんだお前は」とヤジを飛ばしていたことが面白さを生んでいました。街路から帰ってくると笑平くんは服を一枚ずつ脱ぎながらそこらへんに放り投げていきました。そして最後はふんどし一枚になりおじさんに向かって土下座をして柏手(かしわで)を打ちました。「お前いい身体してるなー」とおじさんをして言わしめていました。

プロジェクト大山のふたりは、青い衣装に身を包んで、階段から降りてきました。
露出された肌とその艶かしい動きに、路上にいた男性たちの目が急にきらりと光ったように思われました。くねくねと、くるりくるり、と階段を降りてきて、会場を走り回り、2人が別々に動くので離れた2人の動きを同時に見るのが楽しかったです。最後に同じ振り付けを繰り返しながら、観ている人を巻き込んで(参加者はぼくたちスタッフが中心でしたが)、会場をぐるぐるとまわりました。うずまきのコンセプトと合致していました。

その後、休憩をはさんで登場したのがひとりの老紳士でありました。
黒田オサムさんです。この人のパフォーマンスはひとり黒い光を放っていました。
二パフに参加しておられることは知っていたので、前々から会ってみたいと思っていたのですが、今回この人のパフォーマンスを見ることができたのは、まことに僥倖という他ありませんでした。黒田さんの乞食(ホイト)芸はすでに路上からはじまっており(たぶん)、寿の路上でひなたぼっこしている黒田さんは、誰も発見できないくらい街に溶けこんでいました。広場では、齢80にしてムーンウォークからはじまり、大杉栄の『日本脱出記』を掲げての弁舌、「労働者諸君!」、そして股間からピンクの紐を取り出し、最後に「Revolution」の文字がちんこの代わりに飛び出した時には、会場が拍手でいっぱいになりました。途中、大杉栄の霊が登場したことにはびっくりしました。大杉が黒田さんに乗り移り、すごい形相で睨んできたり、悲しそうな表情をしていたり、黒田さんは霊を憑衣したヤジロベエのようだなと思いました。「負けるが勝ち!」と叫んでおられたことも、みなさんの胸に刻まれたはずです。話を聞いてみると、むかし乞食をやっていたそうでその時に同情を誘うため大げさに転んでみたことが原体験になっているとのことでした。

そういうわけで、黒田さんのパフォーマンスに涙した魚さんの太鼓が、いつもより激しく力強かったことは無理からぬことだったのです。「お前らいったいなんなんだ、おれなんなんだ」と問いかける歌、「ごみかしら、ごちそうかしら、ごみかしら」など、路上でパフォーマンスしてきた彼だからこそ見える世界がそこに現れていました。

この後は片付けだったのですが、ぼくは友人と会うために抜けさせてもらい、桜木町のほうに行きました。
少し歩いただけでショッピングモールとイルミネーションの街が続いていて、寿との距離が近いだけにその落差のすごさを感じました。

夜はあまりに疲れていたため、恵びす湯に行きました。石川町駅の向こう側にある銭湯で、ここは夜1時までやっているのがありがたいです。サウナが別料金なので、水風呂に入れなかったことが残念ではありましたが、おかげで夜はぐっすり眠れました。
[PR]

by kotobukitogether | 2010-12-05 15:56 | 第1回秋(2010)
2010年 12月 05日

寿うずまき前日

ども、加藤笑平さんに誘われて参加した竹村です。
京都でバーやってます。

ぼくは12月3日にはじめて寿に入りました。
夜の8時に着いて、事務所に行ったら誰もいなかったので、
もしかしたら事務所の場所を間違えて調べてきたのだろうかと
不安になり、笑平くんに電話すると繋がりませんでした。

それで周辺をうろうろして、駅の南側にあるモスバーガーで
待機していました。冷静を装っていましたが、もしかしたら初日から
野宿かもしれないという不安に負けそうになっていました。

10時半頃、やっと電話がつながり、事務所に行きました。
入ると芸術工作員みたいな人たちがいっぱいいて、かっこよかったです。
初日は、かっこいいなーと思いました。

あと、寿の第一印象は、落ち着く・居心地が良い、でした。
ぼくは関西に住んでいるので、釜ヶ崎にはたまに行きますが、
釜ヶ崎と比べてずいぶんのんびりしているなあと感じました。
[PR]

by kotobukitogether | 2010-12-05 15:55 | 第1回秋(2010)